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2006年 04月 01日
4月4日から水泳教室に通う。
夫と結婚する前なのだけど、ある日、「どれ、プールに連れてっちゃる。」と私が誘って、小樽の駅前にあるプールに一緒に行った。 夫は水着を持っていないというので、『国際プール』の売店で買うことにした。私がお金を払ったのだと思う。 オリンピックは、競泳を見るのが一番好きだったし、私は余市育ちだ。7月になると、毎日海で過ごしていた。父も泳ぎが上手い。私も泳ぎには自信がある。 オリンピックで、競泳は見てても、実物の、男性競泳パンツを手に取るのは初めて(父のは、猿股のようでした)だったので、「こんな小っちゃくていいのか。」と思った。『中に、ナンも着けなくていいのか?』・・前のトコロは何かで、ビシーっと押さえつけると思ったから、恥ずかしかったけど「サポートも買ってやるか?」と訊くと「そんなもの使わないものだ」とその時分かった。 「ひとりで泳いでごらん」と言う。私は余市っ子だ、泳ぎには自信があった。すると、プールサイトを腕を組んで、歩きながら、私の泳ぎに付いて来るから、「この人は泳げなくて、私の泳ぎに、惚れ惚れしいるんだ」と思っていた。 夫の父のタイチさんは、カメラを買って、その頃は、戦争が終わってまだ7~8年のころだから、カメラは贅沢品だったし、フィルムも現像代も高かった。それでも、2・3台のカメラを楽しみ、趣味にしていたと言う。七人の子供たちに、フィルムの入っていないカメラのレンズを向けると、それぞれに、それぞれの様子をしたという。 サチコという2番目の女の子にレンズを向けると、中は空っぽなのを知らないで、しなを付けてポーズを取ったという。その姿がおもしろくて、「はい、サチコちゃん、撮るよ」と言って、何枚もシャッターを押すけれど、サチコは写っていない。 その数日後、学校の水泳授業で大川へ行ったサチコが溺れ、三日後に、上がって、家に戻った。 それから、タイチさんは、空のカメラを人に向けることは、二度としないと誓い、そして、上から二人はもう大きくなっていたので、下の4人の子ども全員に、水泳を習わせたという。 <義父と、私と、二人でいるとき、押入れの整理などしながら、こんな話を聞けた。いろいろと、話の上手な義父で、私のような者を相手にしてくれて、感謝している。亡くなって9年が経つ> 『国際プール』で、私がいい気になって泳いでいると、泳ぎ方を全部直された。今までの泳ぎは、海で遊ぶ泳ぎだったらしい。 夫は、日赤の水泳指導員の免許があった。「スポーツに触れる機会は、広く、均等に」と言う持論があって、つまり、親が経験させてやれる子、月謝を払える子だけが、スポーツに触れることが出来る現状は、日本の体育教育の貧困である。スポーツこそ、もっと低廉で、子ども達に広く解放されていなければならない。 中学校の部活で、初めて、競技するスポーツに出会える子どももいるのだけれど、『勝つため』に、レギュラーになれない子がいる。そういう、競争が、選手を、切磋琢磨して、上達につながると言う意見もあるが、夫などは、それには真っ向反対しているようである。このことは、また後で書く機会があると思うが・・・ 私は、ある女性の要求団体に入っていたことがあるのだけれど、よし、それなら、夫の協力を得て、市民プールのコースを一本借りて、通信費程度を徴収して、水泳教室見たいなものをやってみよう、という事になり、市営プールと交渉をはじめた。 広く市民に開放しているプールで、営利を目的とした特定の団体に、コースを貸し出すことは出来ないと、交渉の最初のころは、ケンモホロロと言う感じだったのが、粘り強く話をしていくうちに、水泳スポーツの振興を図ると言う一致点を見つけることで、コースを一本借りる事ができた。 いろんな子どもさんが集まってきた。なにしろ、安い授業だからなのか、すぐやめていくお子さんがいる。やけに簡単に入ってきて、やけに簡単に止めてしまう。有名人のお子さんもいた。 私は、指導することは出来ないが、一緒に水に入って、子どもさんの安全に気を配っていた。そのころは、着衣水泳もまだそれほど、練習に取り入れられてい無い頃で、この教室は、選手の養成が目的ではなく、水に親しむとか、水に落ちても、救助されるまで、自力で、待てる力をつけるとか、そう言ったところに重きを置いていたので、着衣水泳も練習のメニューに入れていた。 私が一番印象に残っている子は、ショウヘイ君で、まつ毛が長くて、美しい少年だった。江別にある日本代表の練習プールに行ったとき、(長崎宏子選手、男子の尾形選手を見かける)2メートルの水深に、Tシャツを着たショウヘイ君を突き落とすと、立ち泳ぎして待ってる私にしがみ付いて来て、パチパチしたまつ毛に、水の粒がいっぱいついて、私はショウヘイ君を、抱きしめたのを憶えている。 こちらに引っ越す事になり、閉じたのだけど、水泳を続けている子は、何人いるだろうか。 また水泳を始めようと思って、昨日申し込んできた。娘を誘うと、一緒にやるという。フータはやらないという。 「あのね、4月4日から、お姉ちゃんとお母さん、水泳教室に通います。」と宣言みたいのをすると、長男が、「続けるように!」「教室、通わなくても、お父さんに習えばいいしょ。お父さんほど、教え方上手な人いないよ。」と言う。 そんな昔があったはずなのに・・・・
by a-yanappa
| 2006-04-01 20:59
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