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2005年 07月 27日
都はるみさんの、歌は、お好きでしょうか。
「あんこ椿は恋の花」でしたでしょうか、よくおぼえていません、 ―前歯はずかし、十六の、おおおぉ~ん―と言う歌詞があります。 乳歯の時から、虫歯でした。 可愛い顔して、残念、「みそっぱちゃん」と、ご近所のおばさんに、言われていました。 私の家は、余市銀座の、魚屋さん、 そこの路地を入ったところにありました。 屋根は、マサ葺き、壁はベニヤ板1枚。みんな、まずしく、家族の様に暮らす、長屋でした。 路地は、日当たりだけは良く、子供たちが、あそぶ地面は、タンタンと、乾いていたような そんな記憶があります。 長屋の前は、空き地で、大家さんの奥さんが、そこを、耕していい、と言ったので 母は、とうきびや、じゃがいもや、ダリヤを、植えました。 その畑の向こうに、納屋があって、納屋の二階に、おばあさんが、ひとりで住んでいました。 どんな血縁のおばあさんで、何の事情で、納屋の二階で、 捨てられたように暮らしていたのか、 小さな私には解りませんでしたが、私は、その急な梯子段を、上って行くのが、好きでした。 私が行くと、おばあさんは、何枚も重ねて着た、着物の、前掛けのぽっけとから、飴をひとつ出してくれました。 飴には、糸くずや、たばこの葉が、くっ付いて、ふっふっと払って、口のなかへ、入れてくれました。 私は、虫歯が痛くなると、梯子段を上りました。おばあさんの、昔話を聞いていると、歯の、痛いのを、忘れてしまうのです。 おばあさんは、若いとき、北海道に来ました。 「津軽海峡、渡るときゃ、おっかなかったよ。耳の無い犬が、何匹も何匹も、ウオッ、ウオッって鳴いて、船の周りに、来んだよ。」 深く、碧い、碧い海の、耳の無い犬たちを思い、シクシクと泣く私の、ロマンチィズムは、その時に、形成されたものなのです。 その路地で、私の乳歯は、生え変わり、 ところが、待っても、待っても、前歯、左1番が、生えてこないのです。 「みそっぱちゃん」が「すきっぱちゃん」になり、 借金ばかりしていた父が、またまた借金して建てた家に引っ越すころ、私のすきっぱも、すっかり、すき間が無くなって、「前歯はずかし、3本歯」になっていました。 一緒に住むことになった、従姉妹と姉が、節をつけて、唄ってくれます。 「前歯はずかし、3本歯、あああぁ~~~ん」
by a-yanappa
| 2005-07-27 01:27
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